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松江亀田山千鳥城取立之古説3

説明

堀尾忠氏の死後、後を継いだ三之介(後の忠晴)はわずか六歳。重臣で、忠氏の姉を妻とした堀尾河内は、自分の息子である勘解由に跡を継がすべきと吉晴夫婦に相談したが受け入れられなかった。そのため、河内は三之介を殺すよう企んだ。しかし、計画は事前に察知され、三之介は事なきを得たという。松江亀田山千鳥城取立之古説は現在、一七九一年(寛政三)と一八四二年(天保一三)の二系統と写本が伝わり、これは後者の系統である。内容は、松江城の城地選定のこと、築城工事のことなど、松江開府当時のことが書かれている。 松江歴史館 「松江創世記 堀尾氏三代の国づくり」図録掲載

年代

不詳

作者

不明

備考